February 12, 2011

エジプト雑感。

エジプトの「革命」とイラン革命、そして日本の建国記念日はどれも2月11日ということになりました。覚えやすそうですね。

こないだ「アラブ世界での開発独裁の終わり」というエントリを書いたところですが、ついにムバラク大統領が辞任。時代の流れを変えるこれだけの大事件だし、エジプトは出張で昔ちょっと行っただけでアラブ専門家でもなんでもない私がなにかエラそうなことを言えるわけではないにしても、気付いたことは書いておこうと思います。

*   *   *

1.
「群衆」というものは、ひとりひとりの人間を足し上げたものとは違う、ひとつの生命体のように動くらしいです。「群衆」というのは、なんらかの目的をもって集まった大勢の人間のことで、新宿や渋谷の人混みは、あれは「人混み」であって「群衆」ではないと区別できると思うのですが、ひとたび何らかの目的が与えられれば「群衆」になりうるだけの人間の数だけはいる、という状態です。

(ちなみに、英語では「mob」と「crowd」という単語で区別されるんですけど、mobには暴徒というニュアンスがあるよね。)

他方、カイロのタハリール広場に集まった人々は「群衆」。目的は現政権の退陣、象徴的存在であるムバラクの辞任。分かりやすい目的を持った「群衆」です。

そして、「群衆」を鎮めるための対処方法は2つ。ひとつは、徹底的に力で潰すこと。もうひとつは「目的」を達成させること。

エジプトはこれまで、「群衆」になりそうな芽は徹底的に摘み、「群衆」化した集団は力で潰すという方法を採用してきたんですけど、今回の「革命」は潰すに潰せない規模とエネルギーを持っていた。エジプトにおいては(というか、諸外国ではよくある様態ですが)、軍が政権から一定程度独立した権威を持っていて、その軍が「群衆」を潰すという役割を否定したんですよね。積極的にムバラク政権を追い落としはしないけど、「群衆」を抑える役割も断った。思えばこの時点で、政権の命運は尽きていたのかもしれません。

となると、ムバラク大統領側にとっては、時間を稼いで「群衆」という生命体が弱るのを待つしかなかったんだと思いますが、今回生まれた「群衆」の生命力は時間が経てば弱るというほど生易しくはなかったし、力で潰す、という選択肢が塞がれた以上は、もはや遅かれ早かれ「目的」を達成させるしか「群衆」を鎮める方法はなくなっていたんですよね。

ムバラク大統領が即時退任するまでこの騒ぎは収まらない、というのはみんな気付いていたでしょう?

2.
アラブ、中東世界の大国・エジプトの政権がこういう形で崩壊した、というのは東西冷戦構造の崩壊と同じくらいインパクトのある出来事だと思うんですけどね。アメリカはこれまで、片方で民主主義の伝道師を自ら任じその布教を進める一方で、アメリカにとって都合のよい政権はたとえそれが民主主義の観点から胡散臭くてもたっぷり資金を与えて支援してきた(で、痛い目に遭ってきた)。

今回、このアメリカ外交の本音/建前の構造の象徴的な崩壊だと思うんですよ。イラクやアフガニスタンで既にアメリカは痛い目に遭っていたわけですけど、ついに、アメリカにとってそれこそ中核的利益であるイスラエルの存在と密接に関係するところで、その二枚舌外交が使えなくなった。

新しい秩序ができて落ち着くまでしばらくはゴタゴタすると思う。ムバラクがいなくなったからとって、急にエジプト市民の生活がよくなるわけでもないし、革命後のユーフォリアが冷めた後にはまた一悶着ある可能性も高いと思う。中東/イスラエル問題の再定義も必要になるし、しばらくは不安定化する可能性もあるでしょう。まあでも、国際政治のいびつな構造のひとつが整理されてまっすぐになった、っていう気もするし、基本的には今回のエジプトの事件は喜ばしいことだと思うんですよね。

3.
twitterで流れていて知ったんですけど、こんだけの出来事なのに、日本のテレビ局はエジプト情勢を中継したところがなかったんですって? もう日本のテレビに期待もしない、と思っていたけど、それにしてもひどいなと。ホントにどこも中継してなかったの?

日本は鎖国してるわけじゃなくて、むしろグローバル経済に一番どっぷり浸かって、その中に生きている国ですよ。たしかにエジプトは遠いかもしれないけど、自国の生存環境である国際社会、グローバル経済の重要な変化が今起きているというのに、それに関心を余り示さなかったって・・・。

北海道の記者さんがtwitterでつぶやいてたんんですけど、「こっちは日本に住んでるんだ。エジプトのことばっかり伝えるな。」という苦情が入ったそう。

大丈夫か、日本。
海外に住んでると、なおのこと日本の内向き加減、危機感のなさ、戦略の欠如が心配になるんですけど。

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